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ケーナを求めてクスコの街を迷う

 事前にクスコの旧市街地にフォルクローレショップがあるのを確かめていた。ウイルカ・インストルメント・ムシカーレス(ウイルカ楽器店・以下「ウイルカさんのお店」と称す)というお店で、
ホテルからはクスコの斜面市街地が見えた
旗は七色のインカの旗?
「アルコ イリス」の元ケニスタのお店だというところまで調べはついていた。

 クスコのホテルは「ロイヤル インカ ウノ」(直訳するとインカ帝国1号・本館?)で、「レゴシホ広場」に面している。地図を見ると歩いて20分ほどと思われる所に「ウイルカさんのお店」はあることになっている。

 現地ガイド嬢(スペイン風のとても綺麗な女性)に聞くと、そのお店を知っていて、彼女からもらった「クスコ観光案内図」に黒々と印をつけてくれた。(これが後々迷うことになるとは夢にも思わず)

 これは行くしかない。しかし高山病で頭がガンガンするし、その上気持ちが悪くなってきた。行くしかないと、先ほど飲んだばかり(4時間たつと薬効が「ピタット」うせる)頭痛薬を再度飲む。15分ぐらいベッドで横になっていると、体はふらつくが、とりあえずは頭痛はやんだ。

「大丈夫?」というカミサンに手を引かれ、クスコの街へと足を踏み出したのだった。時に12月30日午後4時過ぎ。

案内図を頼りに、ソロリソロリと行くが、すぐにエキゾチックな街並みが気になり、じっくり散策してみたい誘惑に取り付かれる。インカの首都当時そのままの道と沿道に立ち並ぶ建物にだ。行きかう人々の雑踏にも、外国人観光客といわゆる黒い帽子にアワヨの風呂敷をしょった、フレアスカート姿のインディナの女性たち。(クスコとは別のとあるところで、カミサンが、このスカート素敵ねと女性に声をかけたことがあった。同じ女性同士の気安さからかその女性はスカートをめくり、十二単(じゅうにひとえ)のような綺麗なペチコートを見せてくれた。おしゃれなのである。)
ある街区では「ただいま遺跡発掘中公園」のようなところもあり、ますます魅了される。中世の街並に迷い込んだようだ。

いやいや、ウイルカさんのお店へとにかく行くのだと、、残念だが先を急ぐ。しかし、彼女が印をつけた街区へきたのだが、それらしいお店は見当たらない。あせるばかり。意を決してとある、お店に飛び込み、尋ねてみるが、そういうお店なら「あっち」にあるといっているらしいことがぼんやり分かった。そのあっち方面に行ってみるが見つからない。

 そうこうする内、カミサンが「ちらっと、なんかチャランゴらしいものが見えた.!!」と頼もしい声を上げた。

どこだどこだと、中庭の奥に入っていくと、はたして、ウイルカさんのお店がそれだった。

 ウイルカさんご本人もお店におられ、来意を告げ、私の日本での様子を話すと、たいそう喜んでくれた。
わたしも舞い上がり、「太陽の乙女達」「灰色の瞳」を吹いたのだった。標高3200くらいなのに不思議といつもどおり吹けた。ウイルカさんはウンウンと聞いてくださり、乙女達のスケールの部分がちょっと違うねと、こうだよとか、なぜか3オクターブのシ、ド、レ、ミ、ファを出してみなさい、こういう運指なんですとか「ミニミニレッスン」をつけてくれた。

日本のミュージシャンのケン タナカ(田中健)、ハル(HARU)っていうグループ知っているかいと尋ねられ、両方とも知っていると答えると、大きくうなずき、田中健に僕はケーナを教えたことがあると誇らしげに仰った。

ここまでで、外はもう真っ暗、チャランゴやサンポーニャ、他の興味ある楽器もいっぱいあったが、画像のケーナを譲っていただいて、時間切れ。

後ろ髪ひかれる思いで、お店を後に、夜の帳(とばり)が落ち始めたクスコの雑踏へと二人して踏み出したのだった。

結局、教えていただいた地図のマーキングが違っていたようだったし、仮にあっていたとしても、そのお店はウナギの寝床のような奥にあり、カミサンがチャランゴを見つけなければ、たどり着くことは難しかったに違いない。

そのヒヤヒヤも含め、ウイルカさんとの出会いは良い思いでとなった。


クスコには1週間ぐらいいたかったなあと、今懐かしく思い出す。
 

この稿平成19年3月5日記す(完稿)

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